杢目轆轤目の残る木地椀 平安時代
価格 20万円(税込)
口径130~137㎝ 高台径7,2~7,7㎝ 高さ7,5~7,9㎝ 重さ180g。法隆寺に伝わる百万塔には轆轤が使われていますので、8世紀の中頃以前にはその技術が中国から伝わっていたことが解ります。本品はすっかり枯れきっているという感じのする器で、内外共に轆轤目が残っていますが内側の残りが顕著ですので神前に供する器と思います。材質は解りかねますが木目が美しく磨くと著しい光沢を生じ、堅くて摩耗に強いと言われている欅ではないかと想像しています。内部見込み部から口縁部までは4,3㎝ですので、底部の厚みは2㎝強あり手で撫で回してみるとボリューム感があります。外側胴部には2本の沈線(胴紐)が廻っており杢目も見られます。高台部は1,2㎝と低く高くなるほど時代は下がる様です。口縁部から高台部の縁まで轆轤目が薄っすらと確認できますが、高台内部の縁部まで轆轤目が見られ縁部から3~4㎜の彫込があり、高台内に5,5~5,8㎝の円形の底部を作り出しています。この高台作りも平安時代の特徴なのでしょうか。類例が少なく比較出来ませんが小田原市紀伊神社にも平安時代と推定される木地椀(小田原市の重要文化財)がありますし、東京奥多摩の小河内神社をはじめとする多摩川流域の神社にも平安末~室町時代にかけて奉納された椀が伝わっているとのことですが確認しておりません。保存状態も極めて良好ですので研究するうえで資料になればという思いがします。